中國《ちゅうごく》とは、 まだ けりが ついて ゐない ことが おほく あると いふ ことを わすれては なりません。
こころを ゆるめすぎて ねくびを かかれる ことの ない さまを こころ して おけば よいのでせうが、 こころがかりです。
ところで、 支那《しな》の 古典《こてん》に おもきを おいて 漢文《かんぶん》を まなぶべきと いふ ことですが、 それならば、 漢字《かんじ》が いまの ままでは あまり よくないのでは ないでせうか。
いま、 わがくにでは、 政府《せいふ》が はぶいた 漢字《かんじ》を あたらしい 漢字《かんじ》と さだめ、 それが おほやけに つかはれて をります。
中國《ちゅうごく》では、 共産黨《きょうさんたう》が さだめた あらたな 漢字《かんじ》が つかはれて をります。
朝鮮《てうせん》 半島《はんたう》では 漢字《かんじ》が すたれさうな ところにまで なって ゐたみたいです。
漢字《かんじ》を まともに うけついで ゐるのは、 臺灣《たいわん》だけと いった ありさまです。
このごとくに 漢字《かんじ》が みだれて ゐては、 漢字《かんじ》で ひろく やりとり するのは おぼつかないのでは ないでせうか。
わがくにと 特定《とくてい》 アジアの くにぐにの 共通《きょうつう》の 漢字《かんじ》は、 舊字《きうじ》 (繁體字《はんたいじ》) です。
その 舊字《きうじ》を よみがへらせるのが よいのでは ないでせうか。
また、 舊字《きうじ》は 漢字《かんじ》の もとの かたちを より おほく のこす ものと おもはれますので、 漢字《かんじ》の しくみを まなぶ ためにも よいと おもひます。
ただし、 漢字《かんじ》を あまりに ありがたがるのは よくないと おもひます。
わがくにには わがくにの ことばで ある やまと ことばが あり、 それに あふ わがくにの 文字《もじ》で ある かなが あります。
漢字《かんじ》を ありがたがるあまりに、 やまと ことばや、 かなを おろそかに しては なりません。
(わがくにには ほかにも おきなはの ウチナーグチや アイヌの ことばが あり、 それらも まもり、 きたへる ことが いるでせう。)

