安倍《あべ》 さんの 「美しい国
」(うつくしい くに)と、 ひだりがはの ひとびとの 反戰《はんせん》 平和《へいわ》は、 いづれも ひとつの かんがへかたに よって ひとびとの おこなひを そろへさせようと して ゐる ところが あって、 にて をります。
ひとくちに うつくしい くにと いっても、 うつくしさは ひと それぞれに ことなり ます。
ただ、 安倍《あべ》 さんが すすんで つかって ゐて、 みちびかうと して ゐる ことから、 その うつくしいとは、 さきの いくさの ころの かたくなな 儒教《じゅけう》のごとき ありさまだらうと おもへて しまひます。
これは、 安倍《あべ》 さんや その まはりの ひとびとが さう いふ かんがへを もって ゐると みえると いふ ことでも あります。
反戰《はんせん》 平和《へいわ》に しても、 これまでの いくさに かかはった ものだとか、 これからの いくさに つながる ものだと かれらが かんがへた ものごとは、 ただちに いくさに つながる わけでは なくても、 ささやかな ものまで とりのぞかうと します。
たとへば、 デイ サービス センターで おとしよりが 「同期《どうき》の 櫻《さくら》」と いふ 軍歌《ぐんか》を なつかしんで うたはうと した ところを やめさせたと いふ はなしが、 朝日《あさひ》 新聞《しんぶん》の 平成《へいせい》 17年《ねん》 12月《がつ》 5日《いつか》 東京版《とうきゃうばん》の 「声《こゑ》」の ところに のって ゐたみたいです。
また、 たたかふ ための そなへを すべて すてさり、 いかなる ことが あっても、 いかなる よのなかに なっても、 いくさが できない、 たたかへないと いふ ありさまは、 はたして 平和《へいわ》なのでせうか。
「美しい国
」や 反戰《はんせん》 平和《へいわ》と いふ ことばは、 きまりきって ゐて かちかちに かたまって ゐる かたを おもひおこさせ、 その かたに ひとびとを おしこめて しひようと して ゐると おもはせる ため、 いきぐるしさを おぼえます。

