こどもを すてる ばを ととのへる ことは、 こどもの 人生《じんせい》を すくふ ところが あるのではと かんがへます。
そもそも、 こどもを すてようと する おやは、 まともでは ありません。
くらしに しろ、 こころに しろ、 まともな ありさまでは ないから こどもを すてようと するわけです。
そのごとき まともな さまでは ない おやに しひて こどもを そだてさせるのは、 むしろ こどもの 人生《じんせいを》を こはす ことに なるのでは ないかと かんがへます。
さう なるよりは、 すすんで こどもを すてさせて、 より まともな おやに そだてさせるのが よっぽど ましでは ないかと おもひます。
ちが つながって ゐないと いふ こころの しこりが のこるだらうと おもはれますが、 ちの つながりより、 こころの つながりこそ、 おほきく おもい ものでは ないかと かんがへます。
こすてばと いふ いりぐちを ととのへるなら、 その でぐちで ある、 まともな おやを さがす しくみを ととのへるべきだと かんがへます。

