いくらかの マスコミは ネットを わるく いって うさを はらして ゐるみたいですが、 マスコミも やって ゐる ことは さほど ちがって ゐないのでは ないかと おもへます。
このたびの 不二家《ふじや》や、 ネットで たたかれる ひとびとの いくらかなど、 あからさまに かくして ゐると なると、 ひとは、 その かくして ゐると いふ ことを こころよく おもはないのだらうと おもひます。
そして、 こころよく おもはないから たたく。
それは、 ネットも マスコミも さうで ない ひとびとも かはりなささうに おもひます。
ネットも マスコミも ひとが やって ゐる ものなので いふまでも ない ことかも しれません。
ただし、 たしかに 不二家《ふじや》のは より おもい ことかも しれません。
ひとの くちに いれる ものに ついてなので、 わるければ いのちに かかはるかも しれませんから。
たしかに こどもたちに ただ ものごとを つめこむだけでは よく ありませんね。
こころに ゆとりが ないのは よく ないと おもひます。
ひのまるを そしって みたり、 きみがよを おとしめて みたり、 はては 皇室《くゎうしつ》を さげすみ あざわらって みたりなどと いふのは、 まさに こころに ゆとりを もつ ことが できて ゐない あかしでは ないでせうか。
いまの よのなかで すぐに つかへる ことを つめこむだけでは、 くにを いとしむ こころ、 おほやけに つかへる こと、 つたへられた ものごとを たふとぶ ことと いふのは、 みに つかなささうです。
式典《しきてん》で ひのまるを うやまひ、 きみがよを うたふ ことも、 また、 いにしへに かかれた ものを よむ ことも ゆとり ある こころの ために よい ことだと おもひます。
ネットで わざはひを かうむったと いふ をとこの ひとが 2ちゃんねるを とりしきる ものに ついて 第三者《だいさんしゃ》 破産《はさん》を まうしたてたとの ことですが、 なぜ、 その ひとが わざはひを かうむったのでせうか。
ネットに いきる ひとびとも なにも ない ひとを おもしろがって なにかを すると いふ ことは ないのでは、 ないでせうか。
また、 なぜ その ひとが わざはひを かうむったかが わかれば、 ネットで わざはひを かうむらない ために どう ふるまへば よいかの かんがへに いれる ことが できるのでは ないでせうか。
DJ OZMA さんが つぎの とほり のべた ことに ついて。
≪あのステージを『低俗』だの『不謹慎』だの言う人間がいることにびっくりした。(中略)そういった人たちは本当にかわいそうだけどね…。物事を一定の角度しか見られないんだろうな…≫
「OZMA、NHKにブログで反撃「実は頭にきてた」 (記事《きじ》) より
わたしは、 あれを しなの くらゐの ひくい、 つつしみの ない みせものだと おもひました。
しかし、 そこが よい ところなのでは ないでせうか。
すべての わざが、 しなの くらゐの たかく、 つつしみぶかく なければ ならないかと いふと、 そのごとき ことは ないのでは ないでせうか。
なにに こころを うごかされるかは ひと それぞれです。
しなの くらゐの ひくい ものを こころよく おもはない ひとも ゐれば、 そのごとき ものを このむ ひとも ゐるでせう。
すばらしい わざとは なにかと いへば、 おほくの ひとびとの こころを うごかす ことが できた わざでは ないでせうか。
しなの くらゐの たかい ひくいや、 つつしみの ある なしは、 その ための すべの ひとつでしか ないと おもひます。
ですから、 かれは、 むしろ 「しなの くらゐの ひくいとか、 つつしみの ないとか いって いただいて ありがたく おもひます」などと むねを はって ゐるべきでは ないかと おもひました。
かかはる ところ:
「NHKは DJ OZMAを まもるべき、 かつ、 國營《こくえい》と いふべき」
「紅白《こうはく》と ひとびとの つながり」
きた 朝鮮《てうせん》 がはが 「いまは 經濟《けいざい》 制裁《せいさい》で 日本《にっぽん》への まつたけの 輸出《ゆしゅつ》は やって ゐない。 貿易《ぼうえき》 業者《げふしゃ》らが こまって ゐるのでは ないか」と いって きたとの ことですが、 それで こまって つぶれるくらゐの ところなら やむを えないのでは ないでせうか。
まともな ところで あれば、 きた 朝鮮《てうせん》だけとしか とりひき して ゐないと いふ ことは なくて、 ほかにも いろいろな つてを もって ゐるでせう。
きた 朝鮮《てうせん》だけとしか とりひき して ゐない ために たちゆかなく なって しまふと いふ ところは、 はじめから あやしい ところでは ないでせうか。
山崎《やまざき》 拓《たく》と いふ ひとに ついては、 なにも ありません。
このたびの ことが なくとも、 うたがはしいのには かはり ありませんので。
文化廳《ぶんくゎちゃう》が 「おやこで うたひつがう 日本《にっぽん》の うた 100選《せん》」を えらんだとの ことです。
ここには、 はひって ゐないみたいですが、 きみがよも おやこで うたひつぐべき うただと おもひます。
くにの うたなので、 そこに はひって ゐなくても そのごとく あるべきと いふ ことですね。
(ちょっと ちがふかも ……)
ネットで せめる がはに よく ない ところも あるでせう。
とりわけ、 くちきたなく そしったり、 ありも しない ことを いひふらしたり するのは、 わるい ことです。
しかし、 ネットで せめられる がはにも いたらない ところや、 をかしな ところが あるのでは ないでせうか。
マスコミは、 ネットで せめられて ゐる ひとびとに わるい ところが なかったのか しらべなければ、 しごとを して ゐるとは いへないと おもひます。
ネットで もえあがって ゐる ところには、 たしかに いぢめに にて ゐる ところも あるでせう。
うつつの いぢめでも、 いぢめる がはが わるい ばかりでは なく、 いぢめられる がはにも すこし いたらない ところが あると いふ ことが おほいのでは ないかと おもひます。
せめる がは、 せめられる がはともに、 それぞれ ことなる よく なさが あると おもはれます。
あと、 ネットで もえあがると いふ ことは、 かならずしも わるい こと ばかりでは なささうです。
それを きっかけに なまへが しられて その サイトを よむ ひとびとが ふえるでせう。
うまく とりさばく ことが できれば、 かへって こころよく おもはれる ことにも なると おもひます。
をはりに、 ネットで せめて ゐる がはの いくらかが やって ゐる ことは、 マスコミが やって ゐる ことに にて ゐると おもひます。
かれらは、 ジャーナリズムを して ゐる つもりなのかも しれません。
わたしは 2ちゃんねるが すきですので、 つぶされたく ありません。
ですが、 うそに よって ひとの なを けがすなどと いふ ことは とがめられるべきだとも おもひます。
そして、 つぐなひの おかねを はらふ ことが くだされた ならば、 その おかねを はらふべきだと おもひます。
をかしな いひわけで にげまはるのは、 ゆるされない ことだと おもひます。
(みかたに よっては、 2ちゃんねる 管理人《くゎんりにん》の ひろゆき さんは、 反權力《はんけんりょく》の 英雄《えいいう》と いふ ことに なるのでせうか。)
ただ、 2ちゃんねるを わるい ものと しか みない ひとびとは、 あきらかに まちがって ゐると いへるのでは ないかと おもひます。
たしかに、 わるい ところも ありますが、 よい ところが おほいと おもひます。
たとへば、 つぎの ごとき スレッドも あります。
・ヰキペヂアの文語体版を始めませう
・文語体ゐきを始めませう
(ちょっと くるしいですね。 すみません。)
ほかにも よい ところ、 おもしろい ところが おほく あります。
ただ、 これは、 2ちゃんねるが どうのと いふ よりも ネットと いふ ものが そのごとき ものだと いふ ことですね。
マスコミや その ほかの いろめがねを とほして 2ちゃんねるや ネットを みて、 わるい ものだと おもひこむのは、 よくない ことだと おもひます。
このところ すこし おもふのですが、 ひとと いふのは、 おのれの かんがへに そった ことで なければ、 わかったと おもへないのかも しれないと いふ ことです。
ライブドアの 堀江《ほりえ》 さんの ばあひも、 小泉《こいづみ》 總理《そうり》の ときも、 安倍《あべ》 總理《そうり》に なっても、 それぞれの ひとびとは、 おのおのの ことばで はっきりと ものを いって ゐた ところも あったと おもふのですが、 マスコミなどでは、 「よく わからない」とか、 「はっきり して ゐない」と いった ことを よく いはれて ゐたと おもひます。
もしかすると、 その 「よく わからない」や 「はっきり して ゐない」は、 うけとりての おもひに そった ことばを はいて くれて ゐないと いふだけの ことでは ないかと おもって をりました。
ただ、 わたしこそが その とほりの かんがへの もちぬしかも しれません。
わたしが かふ よみもの (本《ほん》) を えらぶ とき、 そこに かかれて ゐる ことは わたしの かんがへかたに そって ゐるか どうかで えらんでばかり ゐるなあと おもふ ことが ありましたので ……。

